一流の人なら知っている二宮金次郎

今日は「二宮金次郎」の上映会へ行ってきました。新型コロナウィルスの影響で1月上映が延期になっての今日の開催でした。二宮金次郎というと、私の小学校~高校まで学校に銅像はなく、一回もあの有名な薪を背負って勉強している姿を拝んだことがありません。それどころか、私の中でのイメージは「学校の会談」や「学校の七不思議」の夜になったら動く、ちょっと怖い銅像というイメージしかありませんでした。何をした人で、どうして有名で、なぜいつも薪を背負って本を読んでいるのか?全然知らないどころか、興味もありませんでした。(すみません…)

今日はアステールプラザで公開、午前の部には広島市松井市長も来られての挨拶。後援に広島県教育委員会や広島市教育委員会ということもあり、おじ(ぃ)さまおば(ぁ)さまたくさんで、最初場違いかと思いましたが、キレイデザイン協会ビィーチェ支部のメンバーにも無事会えました。良かった(笑)久々リアルの再会はテンションアップ!やはりリアルはいいですね。

さて、内容。百姓に生まれた金次郎、元々は裕福だったようですが、父親が散財(困っている人に貸したりもしていたよう)、さらに5歳の時水害により家や田畑をなど財産をすべて失いました。なんとか田畑は開墾で復興させるものの、借金で生活は困窮し13歳の時父親が、15歳の時母親が病気で亡くなります。2人の弟たちとバラバラに親戚の家に預けられ育てられ、金次郎は農業をし、身を粉にして働きます。その間にも勉学に励みますが(有名な銅像はこの辺りのイメージですね)、夜間暗がりの中読書をしていると怒鳴り込んでくる伯父。「火を灯す油もタダではない!百姓に勉学はいらない!」と殴り罵ります。金次郎は「では油を自分で調達すればいいのですね?」とアブラナを栽培し菜種油を採取。(この頃から努力家ですね!)本で学んだ知識を生かし、次々と田を開墾し成功を収めます。(当時は食べる以上に年貢も米で納めていた時代、飢饉などの非常食の蓄えとしても不可欠で、農民は米をいかに多く収穫するかが課題でした。)

後に親戚の家を出て独立し、元々の自分の生家、二宮家を再建します。その後も大名の財政を建て直したり、廃れた町の再建を行いました。映画の内容で演じられていたのは廃れた町「桜町領」の再建の話。小田原藩主に見初められての依頼でしたが、難航を極めました。賭博やお酒に明け暮れる農民たちは勤労意欲を失っていましたので、金次郎自らが農民の手本となり、百姓として勤勉に働き、的確な指導と新しい制度で改革を進めていきます。順調とは決して言い難い逆境の中、諦めずに、農民の力を信じ信頼して働く姿に、少しずつ農民の意識も変化していき確実に町は前進していきます。しかし慕う者が増える中でまだまだ反感をもった農民たちもたくさんいました。そして金次郎のやり方を批判する侍が現れ、改革を進める金次郎と公務員として従来のやり方で進めていこうとする、その両者が激しくぶつかり合います。

あまりに行き詰まった金次郎は志半ばで姿を眩ませてしまいます。そんなリーダーを失った中でも、金次郎の新しい改革を受け入れ元の貧しい村に戻りたくない一部の農民たちは、勤労を怠ることなく仲間意識を強め金次郎の帰りを待つのでした。金次郎は行方を眩ました21日間「成田山」のお寺で断食修行をし、悟りを開いて桜町領に戻ります。そこからは一気に復興し街を見事再建させ、その評価を買われた金次郎は亡くなる70年間の生涯で600以上の村を再建させたと言われています。

そんな内容の映画が2時間上映されました。私はこの映画を見ながら5、6回は泣いたでしょうか。支える妻・なみの姿に何度も涙しました。金次郎の諦めない姿に何度も涙しました。金次郎は現代でいうとかなりやり手の全国を回って立て直すコンサルタントという感じですね。彼がここまでなれたのは、勤勉で知識と技術があり的確に指導できたから…だけではないと思っています。その力も必要不可欠でしたが、それと同じくらい今現在の起業家でも決して欠かしてはいけないもの「徳」があったからだと感じています。「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」と金次郎は遺しています。

長くなりそうなので続きは次回!金次郎の格言と「徳」について述べていこうと思います。この新しい時代を作っていかなければならない今だからこそ、温故知新で学ぶことはたくさんあるのではないかと考えます。今日一日で二宮金次郎に惚れました(笑)そしてアウトプットすることでより自分のものにしていきます。では次回をお楽しみに!

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